よきちさん・りつこさん

目次

りつこはうすの歴史


「りつこはうす」は、この家を95歳まで1人で守ってきた律子さんの名前をいただき、名付けられました。律子さんは、奄美大島瀬戸内町出身の両親のもと、台湾で生まれ育ちました。お父様は台湾鉄道の駅長を務めており、家には多くの方々が下宿していたそうです。

その下宿人の中で「一番いい男」だった與吉さんは、奄美大島笠利町出身で、大島中学・第七高等学校造士館を経て、九州大学工学部を卒業しました。與吉さんの初めての赴任地は台湾であり、律子さんの家に下宿し、台湾総督府に勤務しました。しかし、勤務も束の間、陸軍に招集され、ビルマに派遣されました。戦後、約1年間の収容所生活を送った後、無事に帰還しました。

名瀬で紬商を営んでいた與吉さんの両親は、奄美大島がアメリカ領となる直前に鹿児島に渡り、與吉さんの帰りを待ちました。律子さんの家族も戦後、台湾から引き揚げました。

律子さんは與吉さんと再会し、結婚しました。與吉さんは土木工学の専門家として戦後復興に尽力し、全国を回りました。その後、大学教授として多くの教え子を育てた與吉さんは、80歳を過ぎてこの家を建て直し、鹿児島に戻ってきました。

與吉さんが亡くなった後、律子さんは約20年間この「りつこはうす」を守り続けました。そして現在、皆様によって、この家に新しい命が吹き込まれています。

目次